一人暮ブログ

Twitterの延長.エモかった事とか書きたいだけです.

引越し

 引越し先がシェアハウスなので基本的に服と本以外必要なものは無く、ゴミの分別がトコトン苦手な俺は、ほとんどの家具をゴミ回収業者の兄ちゃんに持っていって貰うことにしました。

 前日の夜、「もうこの風景も最後か〜」と思いながら家具たちを眺めていると、そう言えば島根で1番長く一緒にいたのはコイツらなんだなぁと思い、その瞬間まるで家具が語りかけてきたように色んな記憶がブワッと思い出されました。

 

 次の日、ゴミ回収業者の兄ちゃんによって袋に詰められ軽トラに詰め込まれた思い出の家具達は何処か無機質な物に見え、まるで死体の様だと思いました。それらを乗せて遠ざかっていく軽トラックは、あの人を乗せて遠ざかっていく夜行バスと重なって見えました。

 

 空っぽになった部屋で1人座ってると、まるで2年前のあの日に戻ったような、でもやっぱり2年前のあの日とは違う様な、変な感覚になります。「はーっ、ひと仕事終えたらとっとと部屋に戻ってビール飲んでゴロゴロしながらフジナッツ健のオンカジ放送見てぇなぁ!」と思ってしまって、その部屋がもう無い事を痛感しました。

 

 物は何も無くなっても色んな記憶はまだ置きっぱなしで、どうにも片付けられませんでした。雑巾がけして汚れをとってもホコリをとっても、それは変わりませんでした。島根での記憶は全部耳たぶの穴に詰め込んで蓋をしたつもりだったけれど、やっぱり入り切らなかったようです。寂しいけれど、入り切らない記憶達はここに置いていくことにしました。もうここには居れない代わりに、記憶はずっと置いてあると思うと、少しだけ心が温かくなりました。

 

 沈黙が寂しくて適当な言葉を発してみたら、やけに響く自分の声に余計寂しくなりました。何も無い部屋でいつもよりよく響く目覚まし時計のチクタク音に「もうあの場所は無いんだぞ」と言われてるようで。どうやら諸行は無常のようです。

 

「明後日には実家に帰るのか〜、荷物の整理終わってないけど何とかなるか」などと呑気なことを考えていると、ふと"実家に帰る"という言葉に違和感を覚えました。いつの間にか、俺にとっての帰る場所は1人で暮らしたあの部屋になっていた様です。

 

 さて、「部屋で1人でグダグダ考えるのは辞めたんじゃなかったのか」と今は亡き家具たちに怒られそうなので、そろそろ最後の昼散歩にでも行くとします。

 

 初めて一人暮らしした部屋。めちゃめちゃ在り来りな事しか言えないけど、2年間ほんとにありがとな。さようなら。