一人暮ブログ

Twitterの延長.エモかった事とか書きたいだけです.

またな。元気で。

 島根で最初(で最後)の友達のTくんが引っ越した。

 1人になってから未だ感傷タイムを過ごしてる訳だけど、いつか今の寂しさも感じる事が出来なくなって、「あの時は寂しかったなぁ」なんて在り来りな記憶になってしまうのが寂しいから、いつでも思い出せるように文章にして残しておこうと思う。今更ながら余りにも個人的なブログ。

 

 共通の趣味も無いし共通の話題も大して無かったけど、何回も何時間も話して歩いてくれたTくん。ラスト3ヶ月くらいは3日に1回くらい誘ってた気がするから、多かれ少なかれウザかったと思うけど、付き合ってくれてありがとう。

 人生を「人と生きる」と読むなら、基本Tくんとしか話してなかった俺にとって、それこそエレカシが言うように「あの時間こそ俺の人生そのものだった」訳で。Tくんにとってもあの時間が大事なものになってればいいな。お前だったら「もうお前と散歩なんてやってらんねぇよ」って言ってくれるだろうか、とか1人で思って、1人で春日役もやって、「このギリギリ万人に伝わりそうな内輪ノリ1人でやると虚しいな」ってお前に話しかけそうになってまた感傷タイム。

 

 よく一緒に歩いた駅までの道のりとか、よく食べに行った唐揚げ屋とか、テッパンの集合場所とか、Tくんのアパートの前とか、いつものカラオケとか、花火したりエモったりした湖とか、よく例の人の話しながらタバコ吸ったファミマとか、色々詰まったローソンとか。Tくんとの思い出の懐古散歩は行く場所が多くてたいへん。どこ行っても「もうあいつと前みたいにここに来る事はないんだなぁ」と思っては涙腺を閉め直さないといけないから本当にたいへん。俺らはいつまでこの景色を覚えてられるんだろうな。いつまでこの景色を思い出して、こんな感情になれるんだろう。思い出スポットをボーっと眺めて、別れ際に改札の前で「めっちゃ寂しいわ」って言えそうで言えなかったあの微妙な沈黙を思い出しながら、感傷タイム。

 

 「食べ物の写真パシャパシャ撮る人の気が知れないと思ってたけどあれは食べ物を撮ってた訳じゃなくてそれを通してその時の空気を撮ってたんだな」って話をTくんとしたことがある。そういう時の良い写真って言うのは、食べ物を美味しそうに撮るとか綺麗に撮るとかより、後からその写真を見た時にその時の感情とか空気感がブワッと思い出せるような写真なんだと思う。そういう意味で、最後の夜の長距離散歩の時に例のローソンの前でTくんが撮ってくれた写真は、これ以上無いってくらい良い写真。Tくんを見送った帰り道でケツメイシの友よ聴きながらその写真見てたら我慢できずにちょっと泣いちゃったのは、恥ずかしいからこれ読んでる人だけの秘密。

 辛い時は何でも話してよって言える距離感にはもう居られないかもしれないけど、お前とその距離感でいられた事は忘れない。って、本心だけど恥ずかしすぎてとてもじゃないけど本人には言えないな。最後のカラオケでTくんが歌ってた友よを思い出しながら、感傷タイム。

 

 なんかちょこちょこ書いてたら無限に書きたいこと出てきた。まぁでも、これ以上は書き残さないでおこう。いつかまたTくんと会った時に無限に話すことにする。だからお前もまた会ったら無限に話してくれ。それこそ夢の続きを何度も聞かせてくれよ。

 

 物理的距離も、もしかしたら心理的距離も変わっていくかも知れないけど、これからも変わらず友達な。

 

 

じゃ、またな。元気で。🤜🏻 🤛🏻

 

 

 

(Tくんは確かAndroid勢だから最後の絵文字ちゃんと見えないかもだけど変わりの絵文字探すのめんどくさいからこのまま行くわごめんね)

 

友よ / ケツメイシ

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トモダチ / ケツメイシ


ケツメイシ「トモダチ」